斜構オタクは推しアイドルの夢を見るか

酒カスによるブログ。TwitterID:@Le_Cha_449, @telier_449

かざぐるま 我那覇響カバー

 (2021/4/07作成) 

 時代はウマ娘らしいので、元気にアイマス老害として生きていこうと思います。

 どうも、るしゃです。

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 今回は響のMA3に収録されているカバー曲「かざぐるま」について。マイナーな曲と思うのですが、誰か一人くらい好きになってくれれば良いなぁくらいの期待値で書いていきます。せめてMA4の話でもすればいいんじゃないかな。

 

 

 「かざぐるま」はありし日の淡い恋心を綴った、切なくも清涼感のある一曲。「ハナミズキ」などで有名な一青窈さんが作詞し歌っています。

 ブログを書くまで「ハナミズキ」とかは沖縄に関係ある曲だと思っていたのですが全くそんなことはありませんでした…。ですが我那覇響のイメージと説明しがたい親和性を感じるんですよね。どことなくノスタルジックな歌詞や曲調が、故郷を大事にしている響と相性が良いのでしょうかね。

 

歌詞を読む

  まず原曲の歌詞について部分的に見ていきます。

「あれは十四、五の ほのか照れ隠し ふたりで歩こうと決めた川ではないけど」

 かつての慕情を思い返しながら、今、二人が同じ道を歩んでいないという現実について言及しています。

 「ふたりで歩こうと決めた川」というのを字面通り受け取るのなら、将来の約束とまでは行かないまでも、大人になっても生まれ育った町に共にいる未来を想定していたのでしょう。ここに「僕」という主人公の郷愁の念を見出せます

 また、「川」というのは「人生」の比喩にもなっていると考えられますが、曲全体を通して「水」をイメージさせる要素がいくつか含まれていることにも目を向けておきます。

 

「水玉模様の僕は 両手を振り返す」

 「水玉模様」というのは何を指すのでしょうか。「かざぐるま」というタイトルを考えれば「僕」=「かざぐるま」でその模様とも捉えられますが、後の歌詞でそうではないことが分かります。

 ここでの「水玉」とは「水」、「雫」を連想させるフレーズで、すなわち「涙」という悲しみを表したものでしょう。

 「両手を振り返す」という歌詞からは、遠く離れる相手に別れを惜しみながらも大きく手を振る様子が想起されます。

 

「ただとおりすぎただけ 君がまわるため どこ吹いた風でした くるりかざぐるま」

 ここでこの歌において「君」=「かざぐるま」ということが分かります。「ただとおりすぎただけ」「どこ吹いた風でした」という表現から、「かざぐるま」に対して自分は深く関わりを持つことのないままに時が過ぎてしまったのでしょう。

 ただ、「かざぐるま」は確かに回っており、何も影響を与えることが無かったわけではなさそうです。

 

「幸せだから、と 急にいい人に いつか帰ろうと決めた町ではないけど」

 「幸せだから、と 急にいい人に」という歌詞には非常に淡白な印象を覚えます。どこか「きみ」との距離が遠く離れたことを感じさせます。

 「いつか帰ろうと決めた町ではないけど」という部分がまた「君」が手の届かない場所に、物理的にも心理的にも、離れたことを思わせます。

 「ふたりで歩こうと決めた川」という一番と同じパートの歌詞も含め、二番の「いつか帰ろうと決めた町」は故郷を思わせる部分です。あるいは故郷そのものではなく「君」がいた頃の故郷への念であると考えた方が自然かもしれません。

 

「幸せな夢のなかで きれいに泳げたの」

 とても抽象的な歌詞で、正直なところ考えても難しいです。「きれいに泳げた」という歌詞の意味する所はどこにあるのでしょうか。

 「幸せな夢」の裏には「報われなかった現実」が透けて見えます。現実での「僕」は「風」、「君」は「かざぐるま」でした。対して夢の中の「僕」はどうでしょうか。

 現実と反転した空間である水の中。当然ながら「風」はありません。対応する概念としては「水流」とかでしょうか。

 詰まる所「きれいに泳げた」というのは現実との対照として「君」と上手に関われたということ。「どこ吹いた風」などではなく。

 

 

「待つことも恋でした くるりかざぐるま」

 やはり故郷で「君」を待っていたのだろうことが伺えます。同時に過去形になっていることからも、恋が終わりを告げたことが分かります。

 これまでの歌詞からも思わされることですが、「僕」はとても純粋で一途な人なのでしょう。

 

「君が沈むまで 僕と沈むまで 幸せな夢の中で きれいに泳げたの」

 水の中に沈む、というのは言うまでもない比喩でしょう

 

個人的な思い入れとか

響がカバーする意味合い

 何というか、響のイメージにフィットするんですよね。あんまりこういう曲は歌ってないと思うんですけど。強いて言うなら「またね」*1とかですかね。

 歌詞のところでしつこく「郷愁」とかを強調しました。響と言えば「はいさい!」とか「なんくるないさー!」とか「うちなーぐち」が特徴的だと思いますが、本人のアイデンティティー的にも故郷の存在は大きいのではないかと思うのです。

 表現するのに言葉が足りないのですが、何とも言い難いノスタルジーが不思議と響というキャラクターにマッチして魅力的なカバーとなっているのではないでしょうか。これを公募で出したPは本当にセンス良くて羨ましいです。

 響はむしろ上京してアイドルをやっているので歌の中では「君」の立場になりそうですが。響は男を勘違いさせてそうなので同級生の男子とかはこのカバーを聞いて青春時代を思い返し涙を流すのでしょう(適当)。

 

 もう一点挙げると、「」がキーワードだったことや「」に関連する言葉がちらほらありました。響のイメージカラーは「浅葱色」でキャラの性格的にも快活で爽やかな印象と会いますよね。

 どうも響と相性がいいのは切ないながらも曲全体に通底する清涼感のようなものが感じられるからかな、とも考えました。爽快って感じではないんですけど、スーっと風が抜けるような感覚ですかね(伝われ)。 

 

曲の背景と…

  この「かざぐるま」という曲は蝉しぐれ』という藤沢周平の時代小説が映画化された際のイメージソングになっています。当然ながら作品の内容をある程度反映した歌詞になっています。

 「ただお目にかかるため 君がまわるため」という歌詞があるのですが、謙譲語を使うことによって「君」が身分の違う手の届かぬ人になってしまったことが暗示されています。この辺は『蝉しぐれ』の内容を特に想起させる部分だと思います。

 

 普段は本とかほぼ読まないんですけど、たまたまこの『蝉しぐれ』は読んだことがありました。

 というのも、大好きなエロゲライターに奈良原一鉄という変人が居るのですけれど、単純なオタクなのでめちゃくちゃ影響を受けました。

 エロゲでガチンコ剣劇を書きたいと世迷言を言ってニトロプラスとかいうこれまた変人の集まるエロゲ会社に行きつき、そうして出来たゲームをプレイしてまぁドハマりしたのですが。剣劇を書かせたら本当に右に並ぶ人はいないと思うのだけれど、残念ながら絶筆したらしく今でももう一作くらい書いてくれないかと思っています。

 そんな奈良原が養分として摂取する作家として藤沢周平を挙げておりまして、一冊くらい読んでみるかとそこそこ有名な『蝉しぐれ』を手に取ったわけです。でなきゃ時代物なんて読まんし。

 自分で好きで掘り下げていった別の趣味がたまたま同じところで交差するというのが、個人的にはこの上なく面白いと感じる瞬間なのです。

 違うコンテンツで好きな曲の作詞とか作曲が同じ人だった時とかが分かりやすいですかね。アイマスの好きなカバー曲と好きなエロゲライターの趣味とか、本当に変な所で奇妙に符号が一致するのが…何でしょう、人生面白いですよね。

フレーズの丸み

 これはもう完全に余談なんですが、歌詞を通して「丸みを帯びた」ものが多いように感じます。「やわらかい」と言ってもいいかもしれません。

 単純に「堅い言葉」が少ないのが一つです。外来語のカタカナとか音読みの熟語とかがあまり使われていないです。

 あとは音自体が「丸い」ものがおおいです。「は?」と思うかもしれませんが。

 「まる」と「さんかく」ではどちらの音が丸いように感じますか?「ふわふわ」と「さくさく」では?「こおり」と「つらら」では?前者の方が何となく「丸みを帯びている」気がしませんか?

 実際のところ文字によって「丸い」とか「尖っている」とかの異なった表象を与えるものらしいです。「み」「む」より「き」「く」の方が尖ったイメージしますよね。名前とかも女の子の方が「丸みを帯びた」、男の子の方が「尖った」印象を与える名前が多い傾向にあるようです。あくまで傾向ですよ。

  本当に何となくですけど日本語っぽい日本語は「丸い」言葉が多い気がします。統計とか取ってないですけど。日本語が婉曲な言い回しを好むのとかも関係あるのかなぁとか思ったり。

 私のイメージで全体的に「丸い」というか「やわらかい」曲としてなんとなく好き、というだけの話です。本当に余談でした。

おわりに

 需要は少ないと思うけど、こういうブログをぽつぽつと書いていきたい、今日この頃。

 最後までお読みいただいてありがとうございました。

 (3809文字)

 

 

*1:MASTER SPECIAL SPRINGに収録されている楽曲。

 アイマスの中でもトップクラスに好きな楽曲です。

columbia.jp